約10年ぶりのアメリカ上陸。ニューヨークでの生活、写真。
by NYlawyer
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Diversity at the Firm
今日は午後から、70人くらいいる新人弁護士(アソシエイト)向けのDiversityに関する所内セミナー。所内セミナーと書いたが、講師として外部コンサルタントを招聘する。
Diversityは「多様性」と訳されるが、日本にいてはニュアンスをなかなか掴みづらいと思われる。実際、私もDiversityに関して考えたことはあまりなかったし、"Diversity"はかなり広く定義されるので、あらゆる要素が取り込まれることになる。
セミナーの目的はこの秋入所した新人弁護士のDiversityに関する理解を深めることにあるのだが、まずは導入としてアンケートをとる。講師が質問するので、それに該当する人は立たなければならない。出身地、国籍、アメリカ国外で生まれた人・国内で生まれた人、親が弁護士、親が先住民、英語以外の言語を話す人、家族で最初に大学を卒業した人などの質問を投げかけるたびに、皆が立ったり座ったりするわけだ。
単なる出身地や国籍だけを見ても、その多様性には驚くべきものがある。これにHeritage(祖先)の出自を加えると、この場では、どこの出身かという問いはほとんど意味をなさない。アメリカという国家の成り立ちを改めて(本当に改めて)思い起こさせるものであった。
さて、この講師によると、Diversityの利点(Benefit)はいろいろな側面(aspect)があるが、Professional Aspectについては4つに集約される。それは、①Organizational(組織運営上のベネフィット)、②Economic(経済的なベネフィット)、③Liability(法的責任)、そして④Moral/Ethic(職場モラルにおけるベネフィット)である。Liabilityというのはもちろん、Diversityに関して雇用主(事務所)が訴えられる可能性を排除する(できる)というものだ。
また、Diversityに関して、これを積極的に妨害することはあってはならないが、黙示的に追認することもまた受動的に妨害していることに他ならないから、あってはならないとされる。例えば、Diversityの理念に反するようなジョークには笑わないことで抗議するべきだし、パーティーで会話をしている本人たちしか分からない話題を持ち出すことはタブーであるし、仮に話題についていけない人(阻害されている人)を見かけた場合は積極的に彼/彼女に声をかけなければならないという話があった。
1年目のアソシエイトのような若い弁護士もDiversityに貢献できる場として、新人の採用活動が挙げられる。つまり、採用活動にDiversityの理念を持って望み、それを積極的に体現できるように各人が努力するのだ、と。こうしてみると、良くも悪くも雇用主はDiversityにものすごく気を使っているし、また(言葉は悪いが)Diversityの理念で洗脳しようとしているかのようにも見える。また、法律事務所に限らずアメリカの組織は自分たちがいかにDiversifyされているかを競うもので、そのようなランキングもある(Diversityに関する法律事務所ランキング The Best 20 Law Firms for Diversity)。また、当事務所(このランキングを見るとトップ10に入っているようだが)にはDiversity Committeeという委員会も設置されていて、Diversity問題に取り組んでいるとされる。
こういったテーマのプレゼンテーションをWASP(:白人のアングロ・サクソンで、キリスト教プロテスタンティズムの信者、典型的には東部のエスタブリッシュメント)の男性講師がやってもまったく説得力がないので、講師は黒人のハーバード・ロー・スクール卒の女性弁護士が務め、自らの(ネガティブな)体験を交えつつ議論をリードする(彼女は、恐らく、コンサルティングが本業である)。
以上のような話を聞くと「日本はどうなのかなあ」と当然思ってしまうのであるが、日本は「国民」の出身地1つとってもまだまだ単一国家としての性格を維持しており(アイヌ等の存在は認識している。念のため。)、大胆且つ積極的な移民開放政策を採らない限り、Diversityが近い将来問題となることはないのだろう。実際、例えば、法律事務所の採用活動でも、出身大学名に拘らないとか職歴があるかというくらいしか、Diversity Factorが見出せないのが現状であろう(もちろん、Diversity Factorは目に見えるものではなく、考え方の違いや宗教・信条など広範に及ぶので、必ずしもこれで十分というわけではない。)。また、「多様な人材」といったときに、その意味付けが少し「ずれて」いるようなケースがあるような気がしないでもない。この関係で、面白いと思ったのは、彼女が紹介したある研究者が行った調査結果。それによると、法律事務所は一般企業よりも、自分たちに似た人材ばかりを採用する傾向にあるという。一般企業はいろいろなタイプの人材を採用しそれを活力に変えていこうと試みる傾向があるが、法律事務所でそういう方針を採用しているところはまだまだ少なく、自分たちに似た人材を複製している(just duplicating themselves)というのだ。もちろん、それが事務所のDNAとかカラーやカルチャーを作っている部分があるのだが、Diversityという面からは不十分ということなのだろう。
上にも書いたが、アメリカの多様性、流動性(Mobility)は私のようなドメドメ日本人(ドメとはDomesticの意味)には、未だにカルチャー・ショックである。ロー・スクールのLLMプログラムにも色々な国からの学生がいたが、彼らは原則として母国に帰ってしまう。しかし、今日一堂に会した多くの人あるいはその親・先祖たちは、新たな人生を求めて海を渡り新大陸に移住してきた人たちである。彼らが「アメリカ人」となり活躍し、それがまたアメリカの力の源泉となり、さらに多くの人々を惹き付ける。「国のかたち」が違うと言ってしまえばそれまでだが、この多様性そして多様性を維持するための数々の試みを目にするたびに、ある種の羨望と絶望感を感じてしまうのであった。
このような多様性が認められるのはアメリカの他にはないのだし、別に日本人がアメリカ人になる必要がないという立場も、分からないではない。ただ、アメリカだけが注目されるが、イギリス(振ってみる)・オランダ(振ってみる)・フランス・ドイツなどのヨーロッパ諸国も移民が流入して移民国家の体をなしつつあり、多様性が認められつつあるはずだ。仮に先進国が多様性の洗礼を浴びつつそのベネフィットを生かすことに成功し、成功のスパイラルに突入していくのであれば、日本が遅れてしまうこともあり得ないではない。近い将来、日本が移民政策を採らなければならないのかは分からない。ただ、ベネフィットの側面に注目した議論があってもいいように思われる。というのは、ネガティブな議論ももちろん見かけるが、それと同じくらい見かける(ような気がするのが)日本も多様性を確保しなければならないという論調だ。そうではなくて、多様性により得られる「より実利的な」ベネフィットをもう少し強調しても良いのではないかと思うのである。
* * *
と、このような理念の話をし、パーティーでの対応等の例を提供しつつ、プレゼンテーションは終了する。場は、会議室をパーティー会場に模様替えしてカクテル・パーティー及びそれに続くウエルカム・ディナーへと移って行く。「さっき学んだことをパーティーで実践してね」ということなのだろうが、立食のカクテル・パーティーも円卓でのディナーも、やっぱり疲れる。。。(苦笑) 自分に振られた話をしている分には良いが、人に振ったあとの対応や、他人がテーブルのこっちと向こうで話しているときにどう絡むかという、経験値というか「場慣れ」の程度が全然違うのだ。もうこれは、Diversity以前の問題だ。習うより慣れよ、である。
パーティーがお開きなったのでオフィスに戻って少し仕事をして、日本系居酒屋での日米混合飲み会へ突入。落ち着く。やっぱり僕は日本人?
Diversityは「多様性」と訳されるが、日本にいてはニュアンスをなかなか掴みづらいと思われる。実際、私もDiversityに関して考えたことはあまりなかったし、"Diversity"はかなり広く定義されるので、あらゆる要素が取り込まれることになる。
セミナーの目的はこの秋入所した新人弁護士のDiversityに関する理解を深めることにあるのだが、まずは導入としてアンケートをとる。講師が質問するので、それに該当する人は立たなければならない。出身地、国籍、アメリカ国外で生まれた人・国内で生まれた人、親が弁護士、親が先住民、英語以外の言語を話す人、家族で最初に大学を卒業した人などの質問を投げかけるたびに、皆が立ったり座ったりするわけだ。
単なる出身地や国籍だけを見ても、その多様性には驚くべきものがある。これにHeritage(祖先)の出自を加えると、この場では、どこの出身かという問いはほとんど意味をなさない。アメリカという国家の成り立ちを改めて(本当に改めて)思い起こさせるものであった。
さて、この講師によると、Diversityの利点(Benefit)はいろいろな側面(aspect)があるが、Professional Aspectについては4つに集約される。それは、①Organizational(組織運営上のベネフィット)、②Economic(経済的なベネフィット)、③Liability(法的責任)、そして④Moral/Ethic(職場モラルにおけるベネフィット)である。Liabilityというのはもちろん、Diversityに関して雇用主(事務所)が訴えられる可能性を排除する(できる)というものだ。
また、Diversityに関して、これを積極的に妨害することはあってはならないが、黙示的に追認することもまた受動的に妨害していることに他ならないから、あってはならないとされる。例えば、Diversityの理念に反するようなジョークには笑わないことで抗議するべきだし、パーティーで会話をしている本人たちしか分からない話題を持ち出すことはタブーであるし、仮に話題についていけない人(阻害されている人)を見かけた場合は積極的に彼/彼女に声をかけなければならないという話があった。
1年目のアソシエイトのような若い弁護士もDiversityに貢献できる場として、新人の採用活動が挙げられる。つまり、採用活動にDiversityの理念を持って望み、それを積極的に体現できるように各人が努力するのだ、と。こうしてみると、良くも悪くも雇用主はDiversityにものすごく気を使っているし、また(言葉は悪いが)Diversityの理念で洗脳しようとしているかのようにも見える。また、法律事務所に限らずアメリカの組織は自分たちがいかにDiversifyされているかを競うもので、そのようなランキングもある(Diversityに関する法律事務所ランキング The Best 20 Law Firms for Diversity)。また、当事務所(このランキングを見るとトップ10に入っているようだが)にはDiversity Committeeという委員会も設置されていて、Diversity問題に取り組んでいるとされる。
こういったテーマのプレゼンテーションをWASP(:白人のアングロ・サクソンで、キリスト教プロテスタンティズムの信者、典型的には東部のエスタブリッシュメント)の男性講師がやってもまったく説得力がないので、講師は黒人のハーバード・ロー・スクール卒の女性弁護士が務め、自らの(ネガティブな)体験を交えつつ議論をリードする(彼女は、恐らく、コンサルティングが本業である)。
以上のような話を聞くと「日本はどうなのかなあ」と当然思ってしまうのであるが、日本は「国民」の出身地1つとってもまだまだ単一国家としての性格を維持しており(アイヌ等の存在は認識している。念のため。)、大胆且つ積極的な移民開放政策を採らない限り、Diversityが近い将来問題となることはないのだろう。実際、例えば、法律事務所の採用活動でも、出身大学名に拘らないとか職歴があるかというくらいしか、Diversity Factorが見出せないのが現状であろう(もちろん、Diversity Factorは目に見えるものではなく、考え方の違いや宗教・信条など広範に及ぶので、必ずしもこれで十分というわけではない。)。また、「多様な人材」といったときに、その意味付けが少し「ずれて」いるようなケースがあるような気がしないでもない。この関係で、面白いと思ったのは、彼女が紹介したある研究者が行った調査結果。それによると、法律事務所は一般企業よりも、自分たちに似た人材ばかりを採用する傾向にあるという。一般企業はいろいろなタイプの人材を採用しそれを活力に変えていこうと試みる傾向があるが、法律事務所でそういう方針を採用しているところはまだまだ少なく、自分たちに似た人材を複製している(just duplicating themselves)というのだ。もちろん、それが事務所のDNAとかカラーやカルチャーを作っている部分があるのだが、Diversityという面からは不十分ということなのだろう。
上にも書いたが、アメリカの多様性、流動性(Mobility)は私のようなドメドメ日本人(ドメとはDomesticの意味)には、未だにカルチャー・ショックである。ロー・スクールのLLMプログラムにも色々な国からの学生がいたが、彼らは原則として母国に帰ってしまう。しかし、今日一堂に会した多くの人あるいはその親・先祖たちは、新たな人生を求めて海を渡り新大陸に移住してきた人たちである。彼らが「アメリカ人」となり活躍し、それがまたアメリカの力の源泉となり、さらに多くの人々を惹き付ける。「国のかたち」が違うと言ってしまえばそれまでだが、この多様性そして多様性を維持するための数々の試みを目にするたびに、ある種の羨望と絶望感を感じてしまうのであった。
このような多様性が認められるのはアメリカの他にはないのだし、別に日本人がアメリカ人になる必要がないという立場も、分からないではない。ただ、アメリカだけが注目されるが、イギリス(振ってみる)・オランダ(振ってみる)・フランス・ドイツなどのヨーロッパ諸国も移民が流入して移民国家の体をなしつつあり、多様性が認められつつあるはずだ。仮に先進国が多様性の洗礼を浴びつつそのベネフィットを生かすことに成功し、成功のスパイラルに突入していくのであれば、日本が遅れてしまうこともあり得ないではない。近い将来、日本が移民政策を採らなければならないのかは分からない。ただ、ベネフィットの側面に注目した議論があってもいいように思われる。というのは、ネガティブな議論ももちろん見かけるが、それと同じくらい見かける(ような気がするのが)日本も多様性を確保しなければならないという論調だ。そうではなくて、多様性により得られる「より実利的な」ベネフィットをもう少し強調しても良いのではないかと思うのである。
* * *
と、このような理念の話をし、パーティーでの対応等の例を提供しつつ、プレゼンテーションは終了する。場は、会議室をパーティー会場に模様替えしてカクテル・パーティー及びそれに続くウエルカム・ディナーへと移って行く。「さっき学んだことをパーティーで実践してね」ということなのだろうが、立食のカクテル・パーティーも円卓でのディナーも、やっぱり疲れる。。。(苦笑) 自分に振られた話をしている分には良いが、人に振ったあとの対応や、他人がテーブルのこっちと向こうで話しているときにどう絡むかという、経験値というか「場慣れ」の程度が全然違うのだ。もうこれは、Diversity以前の問題だ。習うより慣れよ、である。
パーティーがお開きなったのでオフィスに戻って少し仕事をして、日本系居酒屋での日米混合飲み会へ突入。落ち着く。やっぱり僕は日本人?
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| 2006-10-06 15:19
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