約10年ぶりのアメリカ上陸。ニューヨークでの生活、写真。
by NYlawyer
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Easier said than done
こちらで気づいたことの一つに、ブルーカラーの人たちの仕事の役割が分かれている、ということがある。細分化されているという方が正しいか。
分かりやすい例が、飲食店である。客から注文をとりサーブする人と、客が食べ終わった後に皿を片付ける人とが違うのである。よく見ると、着ている店の制服も違っている。背景事情は色々あるのだろうが、仕事の内容を分けることで(より正確には仕事に「格差」を設けることで)、色々な人種の人たちが仕事に就けるようになっていることは間違いなさそうである。そのような仕事の格差は「目的」なのか「結果」なのかは分からないが。
あえて仕事に格差を設けて増やすことで、雇用機会の均等あるいは「平等」という理念が後退するのを防いでいるという見方もできよう。
もう一つの例として、近所に日本でも有名な米系証券会社のビルがあるのだが、当然ながら結構夜遅くまでオフィスに明かりが付いている。そのビルの通用口に面しているStreetには、夕方くらいから黒塗りのリンカーンが列を成して順番待ちをしている。これはこの会社の従業員が帰宅するための「足」であり、いわばハイヤーみたいなものだ。通用口付近には担当者がおり、通用口から従業員が出てくると運転手に合図し、記録した上でチケットか何かを発券して従業員をリンカーンに乗せる。当該担当者の役割は、運転手への合図とチケットか何かのやり取りだけである。それが彼の仕事である。やはりというかなんと言うか、彼は白人ではない。賃金が高くないので仕事として成り立つということもできる。コンドミニアムのドアマンやコンシェルジュ、あるいは中華料理店、タイ料理その他の飲食店が提供しているデリバリー・サービス(「出前」)についても、同じことが言えるであろう。
少子化が進み労働力が不足することが予想されているわが国でも、外国人労働者の受け入れ拡大という議論がなされることがあるし、実際に地方では、外国人労働者によって地域経済が支えられているという事実もある。いろいろな人種が集まるがゆえに活力を生み出し多様性も生まれるのだ、と言うのは簡単である。しかし、我が国でそれは可能なのか。生活文化や伝統の問題もあるし、外国人に参政権を与えるのかいう憲法問題もある。労働力不足がますます深刻化したとき、我が国はどのような決断をするのだろうか。チャイナタウンとリトルイタリーに溢れる人ごみの中で思ったのだった。
分かりやすい例が、飲食店である。客から注文をとりサーブする人と、客が食べ終わった後に皿を片付ける人とが違うのである。よく見ると、着ている店の制服も違っている。背景事情は色々あるのだろうが、仕事の内容を分けることで(より正確には仕事に「格差」を設けることで)、色々な人種の人たちが仕事に就けるようになっていることは間違いなさそうである。そのような仕事の格差は「目的」なのか「結果」なのかは分からないが。
あえて仕事に格差を設けて増やすことで、雇用機会の均等あるいは「平等」という理念が後退するのを防いでいるという見方もできよう。
もう一つの例として、近所に日本でも有名な米系証券会社のビルがあるのだが、当然ながら結構夜遅くまでオフィスに明かりが付いている。そのビルの通用口に面しているStreetには、夕方くらいから黒塗りのリンカーンが列を成して順番待ちをしている。これはこの会社の従業員が帰宅するための「足」であり、いわばハイヤーみたいなものだ。通用口付近には担当者がおり、通用口から従業員が出てくると運転手に合図し、記録した上でチケットか何かを発券して従業員をリンカーンに乗せる。当該担当者の役割は、運転手への合図とチケットか何かのやり取りだけである。それが彼の仕事である。やはりというかなんと言うか、彼は白人ではない。賃金が高くないので仕事として成り立つということもできる。コンドミニアムのドアマンやコンシェルジュ、あるいは中華料理店、タイ料理その他の飲食店が提供しているデリバリー・サービス(「出前」)についても、同じことが言えるであろう。
少子化が進み労働力が不足することが予想されているわが国でも、外国人労働者の受け入れ拡大という議論がなされることがあるし、実際に地方では、外国人労働者によって地域経済が支えられているという事実もある。いろいろな人種が集まるがゆえに活力を生み出し多様性も生まれるのだ、と言うのは簡単である。しかし、我が国でそれは可能なのか。生活文化や伝統の問題もあるし、外国人に参政権を与えるのかいう憲法問題もある。労働力不足がますます深刻化したとき、我が国はどのような決断をするのだろうか。チャイナタウンとリトルイタリーに溢れる人ごみの中で思ったのだった。
by NYlawyer
| 2005-08-16 13:33
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